高木美保さんのお名前は、40代以降の世代なら多くの方は
ご存知かと思います。1980年代に嵐シリーズに出演して、一世を風靡した
女優の一人です。
高木美保さんは、一旦は女優から身を引くも、長いブランクを経て
2007年にNHKドラマで復帰しました。高木美保さんはひどい
自律神経失調症を患っていて、そのことが女優業から身を引いた
大きな理由と言われています。
高木美保さんは1962年生まれ、実家はお医者さんという家庭で
育ちました。
医者の娘ということもあったためか、家庭内教育は厳しかったらしく、
「自立できなくては女優になる資格はない」という父親の
アドバイスもあって、読書や新聞、ニュースを見ることを
女優になってからも常に課せられていたようです。
それに重なり、女優業として1年間、休みもない過密スケジュール
だったと聞きます。厳しい家庭で育った環境の影響もあり、
ご自分にも厳しかったためか、睡眠時間もままならない状況で働き続けました。
お父様からのアドバイスを忠実に守り、期待に答えようとする
プレッシャーも相当強かったと聞きます。
やがて、休みの取れない不規則な生活の中で心身のバランスを崩し、
かなりひどい自律神経失調症を患ったようです。
このような自律神経失調症の発症事例は、ある意味、自律神経失調症を
患うケースとしては最も多いパターンになります。
自律神経失調症は、昼夜を問わず、猛烈に働くサラリーマンや
責任の重い管理職にかかりやすい傾向にあります。
いい加減な方よりも責任感の強い方、自分に厳しい方、生真面目な方、
取り越し苦労をしやすい方に患いやすいことで知られています。
まさに、高木美保さんは、自律神経失調症に患いやすい性格・環境の
全てを持っていた様子とも伺えるのです。
高木美保さんはやがて自律神経失調症を克服し、再び
テレビ舞台に出演するようになりました。
高木美保さんは、本来、実家がお医者さんということもあり、
看護婦にあこがれていたようです。
高木さんはひどい自律神経失調症を患い、一旦は「女優に向いていない」
と思い、女優から身を引いて、那覇高原で農業を始めました。
合わない女優という環境で仕事をするよりも、ご自分に合った
農業を選んだ高木美保さん。
2007年に女優に復帰して以降、現在でも農業をずっと
続けているとのことです。
この記事を読まれている方の中でも自分には合わない
仕事をしている方、事情があって嫌な仕事でも辞めることが
できないなど、様々な方がいると思います。
高木美保さんも一旦は「女優は合わない」と気づきつつも、ファンの期待に
答えたいということもあったためか、農業を続けながら女優・タレントを
行っています。
高木美保さんは、自分の性格・体質を知り、自分にできること以上の
ことはやらず、自分のライフスタイルを維持しつつ、世の中に役立てる
方法を、長年の闘病生活から見出されたのではないかと思います。
こういった高木美保さんの生き方は、今、自律神経失調症で
苦しんでいる多くの方々にも、とても参考になると同時に、
励みにもなります。